ご両親・旦那様とともに、35年続くナメコ製造販売の会社を切り盛りしている。
東日本大震災をきっかけに、売上の一部を寄付するなど、被災地支援活動にも力を入れている。
キトキトマルシェなどのイベントで、消費者への対面販売を通じて、ナメコ料理の試食やレシピ提供を行い、オンリーワンの存在感でナメコ普及に貢献している。
"震災の時も、イベント出店やクックパッドへのレシピ掲載の時も、どれも思いついたら即行動していました。
もちろん今は、家族の理解をきちんと得た上でですけども。「たぶん止めても無駄だろうな」と私のことをわかってくれて、協力してくれるので助かっています(笑)。"
"でも、行動してみると失敗も必ず何かにつながっていくということがわかったので。
だから、このままでいこうと思っています。"
Q.どんなお仕事をされていますか?
ナメコの製造販売をしています。
うちの会社では、おがくずを買い取り菌床づくりから全て行っていて、温度管理などは主に男性社員の仕事で、女性社員はナメコを切ってパック詰めしたり出荷用に箱詰めする作業を担当しています。
多くは農協出荷ですが、うちは外販にも力を入れていて、県内外のイベントに出店し「くまちゃんなめこ」を広く知ってもらうことで販売促進につなげようと努めています。
農協出荷の場合、「もがみなめこ」という標記のになるので、消費者はそれがどこの会社で栽培し出荷したものなのか意識しにくくなります。
自分たちはとてもこだわって菌床づくりからやっていますが、現状はそうなんです。
だから、「自分の会社の商品だけ売れればいい」という考えではやっていけなくて、最上のナメコ生産業者全体が底上げをしていかないと、次に繋がっていかないと思っています。
最上ブランドとしてみんなで株を上げていければいいですね。
実際、最上のナメコは全国でもとても評価されていますので、今後も業界全体でおいしさや魅力をアピールしていきたいと思っています。
ナメコは、きのこ類の中でも、味噌汁や酢の物の具材としてしか使われない地味な存在というか、目的がないと手にとってもらいにくい食材だと思うんですね。
それで、イベント出店の時には、若い人に向けて、今までに無かった発想のメニューで試食してもらっています。
「○○作るから買おう」ではなく「ナメコを使って○○作ろう」となるように、まずは一度食べてもらって、ナメコが特殊な食材ではなく、気軽に使える食材になっていければと思っています。
試食は大人だけじゃなく子どもにも人気で、「プルプルしていて食べやすい」っておっしゃってくれる方が多いです。
試食のメニューはいつも家で考えているんですが、逆に買ってくださったお客様からSNSを通じて「こんな組み合わせもおいしかったよ」なんて声をいただくこともあって、「ナメコから揚げ」なんかもインパクトがありましたね(笑)。
おいしいと言ってくだる方々がまた次に広めてくださるので、本当にありがたいです。
Q.この仕事に就いたきっかけは?
家が創業35年になるナメコ製造販売会社を営んでいて、若い頃は継ごうという気持ちは全くなかったです。
むしろ「早く外に出たい」と思っていて東京の大学を目指しました。
それでも大学卒業間際に、「田舎に戻れ」ってことになり、結局戻ってきちゃいました(笑)。
卒業後は地元や山形市など、いくつかで働きながら過ごしていて、その頃夫に出会いました。
「いつかは一緒に家の会社を継いでほしい」ということをずっと伝えていたので、彼は「じゃあ、早いほうがいいよ」と言ってくれて、それで結婚を機に二人とも家業を継いで家に入ったかんじです。
大学で東京に出て、都会と田舎の違いを痛感しましたね。
田舎では「あの人は○○だ」と一度イメージが付くと、狭い社会なのであっという間にそのカラーが定着してしまう。若い頃はそれが煩わしかったんです。
都会はどんな変わった人でも受け入れちゃうじゃないですか?
でも、山形のように雪が降らないので東京では四季がわかりにくくて、一度外に出たことで、地元の良さを改めて知りましたし、自分はこっちのほうがあっているのかなと感じるきっかけになりました。
Q.被災地支援の活動を始めたきっかけは?
「くまちゃんなめこ」としてのはじまりは東日本大震災がきっかけでした。
気仙沼に友人がいて他人事じゃなく、「ここにナメコがあるんだから、それで何かできたら…」という気持ちが生まれてきて、私は「何かしたい」と思うとすぐ行動に移してしまうほうなので、とりあえず、キトキトマルシェに出店してみて、そうしたら意外とお客さんの反応が良かったんです。
地元の人に少しずつ知ってもらう中で、被災地の支援につながればいいなぁと思いました。
私も現地で炊き出しとか、片づけなどしたかったんですが、子どももまだ小さかったですし、自分の家をおろそかにしてまですることではないなと。
それと、無償で何かするというボランティアではいつか無理が出て続かなくなるだろうと思って、自分たちも生活のために働きながら、その売上で協力することができれば長く続くんじゃないかと考えました。
その人その人でやれることが違いますし、支援の仕方も変わってくると思うので、無理なく続けるなら本業で支援していく仕組みが大事だと思いました。
父が作ってきたナメコでお客様が喜んでくれて、売上で被災地の人が笑顔になってくれたらなと、それが活動の根っこです。
現地でイベントがあればできるだけ参加して、協賛金などでも協力するようにしています。
Q.由美子さんの性格は?
もう、「思ったら即行動」で、やりたいことはやってみないと気がすまない性格です。
衝動に突き動かされていますね(笑)。
行動の理由を「何で?」って聞かれても、「いやぁ、やりたかったから…」としか答えられないです。
もう理屈じゃなくて、頭で考える前に行動するので、やらないでいるとたぶんずっと悶々としてしまって、とにかく、まず行動ですね。
Q.リラックス方法は?
あまりオンとオフの強弱は付けないんですよ。どうせやるなら仕事も楽しみたいので。
会社が休みの日でも、ほとんどがイベント参加なので、子どもも一緒に連れて行ったりしていますね。
趣味と仕事が一緒になっているような感じなので、とくに決まったストレス解消法がなくても、大丈夫なんです。
私にとってやはり家族は大事なので。
くまちゃんなめこの活動も、家族の協力と理解なしでは本当に成り立たないので、いつも心から感謝しています。
Q.将来の夢や目標は?
そうですねぇ、鮭川村には自分の地元を楽しもうっていうイベントが少ないように感じます。
もちろん行政では、色々と頑張ってくれていて、「きのこまつり」や「鮭まつり」など毎年恒例の行事はありますが、住民が主体となって企画運営するイベントがあってもいいのかなと思います。
なので、鮭川の食材や資源をもっと若い人たちに向けてアピールできるようなイベントができたらいいなと思います。
それで他の地域からも人を呼び込めるといいですね。地域活性化にもつながりますし、鮭川の若者にも「自分の地元にもこういう良いイベントや良い場所があって良かった」って思ってもらえる村にしたいですね。
Q.最上地域の好きなところ、改善してほしいところは?
きのこももちろん、とにかく食材が美味しい、ということは水も美味しいというのが大きいと思います。
都会に一度出たからこそ、四季の移り変わりがはっきりとわかることも本当に素晴らしいことなんだと感じます。
頑張っている若者も多いですよね。
今、活躍している人たちは「人に何か言われても気にしない」「自分は自分」という信念を持っています。
それが狭い田舎で成功する秘訣じゃないでしょうか。
どうしてもこの地域の人の気質として、周囲の目を気にしてしまうという部分があるので、それはもったいないですよね。
私も帰ってきた当初は「頑張っていい子にしよう」と思っていましたけど、でも続かなかったですね(笑)。
別に悪いことをしているわけじゃないので、もっともっと前に出てほしいですね。
最上地域の女性へメッセージ
女性だからこそ出来る気遣い、女性ならではの視点を最大限活かしていくってことでしょうか。
何をするにも、男性にはない女性のほうが向いている仕事ってあると思います。
ナメコの手切作業や商品チェックなど配慮の必要な仕事、お客様とのやり取りや接客も、細やかに求められている声を聞いていく力は、女性だからこその部分だと思いますね。
そこを活かしていくっていうことが大事だと思います。