助産師として病院勤務を経験した後、母乳育児のサポートをするために東京で開業。
2008年に実家のある新庄に戻り助産院を始める。
NPO法人母子フィジカルサポート研究会の事務局も務めながら、産科が少なくなった新庄・最上地域を中心に、女性の健康と子育ての悩みに向き合い、きめ細かいケアを実践している。


"実は助産師の仕事、一度辞めたんです、2年ぐらいで。「産科ってこんなに恐ろしいのか、こんな仕事できない」って。
違う仕事に就こうと、居酒屋でアルバイトしたり、美容外科に勤めてみたり、ぷらぷらしていた時期がありました。助産師の免許を持っているのにね(笑)。"

"でも離れてみたら「やっぱり助産師に戻りたい」と思って。
2年の経験で辞めていたので、そこから就職先を探すのは大変でした。現場に戻ってからは必死に勉強しましたね。"


Q.助産師とはどんなお仕事ですか?この仕事に就いたきっかけは?

助産師は女性の健康に関わる仕事、女性の一生に寄り添う仕事です。
具体的には妊娠や出産、育児、産後のケアや更年期の問題も含めて看るのが仕事です。
日本の助産師の資格は、看護をベースに、女性に特化した専門領域の習得って位置づけなんでしょうね。
でも、病院勤務ならユニフォームも看護師と同じだし、ネームに助産師って書いてあったり名乗ったりしても、一般の方にはその違いは分かりにくいですよね(笑)。

今は産婦人科が少なくなって新庄・最上では県立新庄病院しか産科がないから、助産師も働く場所が少ないんですね。
資格を持っていても、産婦人科以外の他の病棟にいる方もいますね。

助産師の場合は医師と違って薬を処方したり、医療行為はできないので、その分、色々な方法でお母さんの健康や育児支援を行うんです。
例えば、乳腺炎がひどいママがいるとすると、保冷剤みたいな極端な冷たさじゃなく、キャベツの外葉をおっぱいに貼るとか里芋を擦り下ろしてそれを湿布するとか、その人にあわせて家庭でも簡単にできる色々な方法をアドバイスすることがあるんですよ。

実は、高校生ぐらいまではOLになりたかったので、経済学部とかに進学するのがいいのかなぁって思っていたんです。
でもある時、「これからは資格だ!」って思って、それで看護師っていうのがひらめいたんです。
たぶんその頃、医療系のドラマが流行っていたのが影響しているのかもしれないですけど(笑)。

それで看護学校に入ってみたら、幼い時から看護師を目指していたっていう人が多くて、自分はそうじゃなかったので完全に気後れしてしまって、最初の頃は「やめたい」って本気で思っていました(笑)。
それでも実習で色々な科を回っていくんですけど、たまたま産科で教育係についてくれた病院スタッフの方が同じ高校の先輩だということが分かって、すごく嬉しくなちゃって、そこで一気に「私も産科に配属になりたい!」って思ったんですよ。
「確実に産科に配属になるためには助産師になろう」っていう、何とも動機が単純なんですけど(笑)。

その頃ちょうど曾祖母が亡くなったりという時期で、とても辛くて、「人の死を看取るのは自分の家族だけで十分だ…」と思ってしまって。
看護師って人の死に直面する仕事なので、それよりは新しい命が生まれてくる瞬間に立ち会える仕事っていいなぁって、それで助産師の学校に進もうと思いました。
 

Q.開業を決めたのは?

助産師学校時代からの友人が、自分の子どものアトピーがひどかったことをきっかけに色々と勉強するようになって、その後、わりと早く開業したんですね。
彼女の助産院は自宅分娩にも対応するところだったんですが、私は彼女のサポートスタッフとして関わっていて、ある時、「優ちゃんは開業しないの?」と言われて(笑)。
自分では「えっ!」っていう感じでしたけど、「優ちゃんこそ、開業に向いてるよ!」って言われたのを機に、何となくそうなのかなぁと思うようになっていったんです。
言われてみれば助産師になった当初から、母乳支援をやりたい気持ちがぼんやりとあって。

それと、彼女の患者さんに、起業をアシストする会社を経営する女性社長さんがいたんですけど、その方にもお会いするたびに「いつするの?」「で、優ちゃんはいつするの?」って言われて、徐々に気持ちがそっちに向いていったんです(笑)。
それで、その友人に開業手続きについて具体的に教えてもらって、ドキドキしながら区役所に行ったら、ものの5分で手続きが済んでしまって、すごく拍子抜けしたのを思い出しますね(笑)。
しばらくは、区の健診だとか正常分娩で生まれた赤ちゃんのお宅訪問の仕事も受けながら、自営で助産師をやってきました。


Q.一番大変だったことは?

自分自身の気持ちでしょうか?
病院勤めで助産師をしているほうがはるかに安定していて収入もあるわけです。
でもそれは、自分のやりたいことや目指すものとはちょっと違う、「やりたいけど、できるのかなぁ」っていう葛藤が大きかったですね。
開業して最初からいきなり仕事があるわけじゃないし、貯金も減っていく、でも「こうしたい、こうなりたい」っていう、そういう自分と向き合うことが一番大変だったんじゃないかな?


Q.一番やりがいを感じるのは?

ママ自身が赤ちゃんの世話で疲れ切って弱ってしまっているとか、おっぱいが出なくて悩んでるとか、赤ちゃんがおっぱいを飲んでくれないと困っている方だとか、そういうママたちが、私のところに来ている間に、少しずつ元気になっていく姿が感じられる時には「あぁ、やっていて良かったなぁ」って思います。
中には「他のママにはできるのに私にはできない…」って完全に自信を無くしている方もいるんですね。
でも、母乳育児が軌道に乗るまでには時間がかかるし、そういう方々に寄り添って、少しお手伝いすることで救われる方々がいるので、それが実感できた時にはやりがいを感じます。
それと、初産の時にうちで看たママさんが、二人目の時にまた来てくださったり、「こんなに大きくなったよ」って連絡をくれて顔を見せてくださる方も多くて、これはこういうスタイルで助産院をやっていないと味わえないものかなぁと思います。
 

Q.優さんの性格は?

優しいとは言われるんですけど、喜怒哀楽は激しいほうで、家族には「瞬間湯沸し器」とよく言われます。
あと、どんな人でも受け入れられる柔軟性もあるほうかなと思います。

健康や育児に不安を抱えてうちに来られる方には、まず安心感や信頼関係だと思って、それには相手を否定しないことが大事だと思っています。
「これはダメ、それは違う」って言うんじゃなく、相手の言い分を受け止めて、でも改善しなきゃいけないところは言うっていうことを普段から心がけていますね。
病院勤めの頃は、周囲とうまくいかない方は、なぜか大抵私に担当が回ってきましたしね(笑)。


Q.休日の過ごし方は?

休日は日曜と祝日、年末年始や新庄まつり期間がお休みですね。
あと研修や会議であちこち出かける時も臨時でお休みいただいています。

最近は仕事明けに温泉に入って温まるのが定番で、私のオススメは東根温泉のこまつの湯です。
熱めのお湯ですごく温まるので。他に良い温泉もたくさんあるんでしょうけど、泉質によっては体が冷えちゃう温泉もありますから、私の場合はここが一番ですね。
 

Q.最上地域の良いところ、悪いところは?

四季がはっきりしていて、自然と共生できているところが素晴らしいと思います。
以前住んでいた東京にも緑はありましたけど、コンクリートの印象が強かったですね。
こちらははっきりと四季折々の彩りがあり、食べる物もおいしいし新鮮。親戚や近所からいただく野菜は、今採ってきたものだったり、それって贅沢なことだと思いますね。
たぶん私たちの健康もそういう食材に守られているんだと思います。
だから、もっと自然を活かすとか昔からあるものを残すようにしていかなきゃいけないですよね。昔からある大きな木や植物を切っちゃったりしないでほしいです。

残念なことは、田舎は進学でも就職でも選択肢が少ないことですね。
身近に色々なお手本がなく、知りようがないっていうのは不利ですね。助産師の仕事も、身近にそういう人がいて、将来の選択肢として参考にできる環境があれば、若い人も目指してみようと思うのかもしれない。
そういう意味でも、この地域に根差して自分は頑張っていかなきゃいけないなと思います。
 

最上地域の女性へメッセージ

自分を大切にしてほしいと思います。
限られた環境の中だったり家族や社会の中での立場もあって「相手のため」というのが行動の一番になってしまって、自分のことを犠牲にしてしまうことが多いと思うんですよね。
特に最上の女性はそうじゃないのかな?
わがままに好き勝手に生きるのではないけど、今ある環境の中でも自分の夢やなりたい理想、「どのように生きたいか」という自分の気持ちを大事にしていってほしいですね。
一度きりの人生だから、「自分の人生を自分の生きたいように生きる」私もそうしたいなと思っています。