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デザイン事務所Seal代表。
専門学校を経て仙台市のデザインプロダクションへ就職するものの、実家を継ぐため地元に戻る。
デザインに価値が見出されていなかった時期の最上地域でたった23歳で起業に踏み切ったパイオニア。
現在は自宅兼事務所で多方面の広告デザインを手掛けている。


今みたいにパソコンもない何にもないっていう時代でしたから、本当に悩みましたよ。まだ23歳でしたから。
でも、いつかは両親を見るために戻ることになるんだろうし、自分の絵やデザインを良いって言ってくれる人がいるんだから、 どこへ行ったって「何とかなるだろう」って思っちゃったんです(笑)。
一度きりの人生だし、これは無理だとか言って諦めないで「やってやれないことは無い」って思ってのぞめば、誰だって案外何とかなるもんなんですよ(笑)。


Q.どんなお仕事をしていますか?

 職業はグラフィックデザイナーで、ワインやアイスクリームのパッケージのイラストを描いたり、飲食店の暖簾や幟、会社のロゴをデザインさせていただいています。
ポスターやパンフのような紙媒体もありますね。最上地域ですと、もがみ観光博の際に地域マップのデザインもさせていただいて、最近では地元金山町のオリジナルTシャツとか米袋のデザインも手がけたりしています。
今はパソコンを使ったデジタル化されたデザインが重宝されますが、私は昔から手書きにこだわっていまして、それが自分の持ち味なので、まずは下絵を描いて、オーダーに合ったイメージで彩色して、それを見せてOKが出たら、そこからデザインとして起こしていくと言った手順で制作しています。
とにかく相手のイメージを何度も聞いて書き直して、色もクライアントとのやり取りの中なら決めていくっていう工程を繰り返して作っていますね。
例えば、12月にお土産品のパッケージを軽井沢のホテルさんから依頼いただいて、3月頃に納品というような、だいたいそのぐらいのスパンでお仕事をさせていただくことが多いです。
 

Q.今のお仕事に就いたきっかけは?

本当は子どもの頃から漫画家になりたくて、高校の美術部の一つ上の先輩にHUNTER×HUNTERの作者としても知られている冨樫義博さんがいて、顧問の先生も漫画を描くことをすすめてくれたんですけど、両親には「漫画家で食べてはいけないだろう」と反対されまして。
でも、どうしても絵を描く仕事がしたくて、専門学校でイラストとグラフィックの勉強をして、仙台市のデザインプロダクションへ就職しました。
そこで3年ほど修行させていただきました。
2人姉妹の姉が嫁ぐことになったので、私に戻って欲しいということになって。
それで、地元でも何とか自分の身につけたスキルを活かして仕事をしていく方法は無いかなぁと考えたんです。

町の商工会に通って「どうやったら会社を作れますか?」ってところから始めました(笑)。
それで、なんとか会社を立ち上げたのが23歳の時です。 当時、地元で印刷会社に入ろうかとも思ったんですけど、それではそのプロダクション時代に私のデザインを気に入ってくださった方とか、それまでの仕事が途切れてしまうことへの心残りもあったのと、 取引先の広告代理店の担当の方が、「庄司さんが独立するんだったら…」って言って仕事を回してくれたので、それで今まで何とかやってこれたと思っています。


Q.やっていて良かったと思うことは?

昨年、金山町の米袋のデザインをさせていただいた時に、地元の方と意見を出し合いながら、とても納得のいく仕事ができたと感じました。

本来、広告のデザインはデザイナーのものではなくクライナントの必要とするものを形にしたものなので、自分の個性を出しすぎないように気を使っています。
だから、最上地域や金山町のお仕事に関わって、地元で自分のデザインしたものを実際に目にすることができるのはすごく嬉しいです。
また、私の家族がクロスカントリースキーで地元関係者の方にとてもお世話になったので、ジュニア駅伝やスキーの応援旗やTシャツはCSR(企業の社会的責任の一環)で地元絵の貢献ということで無償でお引き受けしました。
少しでも地元のバックアップができればと思っています。自分のデザインが地元で使われている実感がある時、大変だったけどここで頑張ってきて良かったなと思います。


Q.起業して一番大変だったことは?

帰郷当時、田舎では広告デザインの価値が全く無かった時代ですから、価格なんかも大変でしたね。
「かっこつけて…」って思われることが多くて、絶対に続かないと言われていました。
それでもそうした心配をよそに(笑)、起業当初からそれ以前にお世話になっていた広告代理店の下請けもしていまして、仕事はコンスタントにあったんですよ。

一番大変だったと言われれば、結婚して出産・子育てとなった時期は仕事量が3分の1に減りましたので、それが大変でしたね。
仕事の依頼があるのに引き受けられないっていうのも辛いんですね、それがその後の仕事に影響するわけですから。
でも自分の人生にとって、結婚も出産も必須だったので、夫とも相談して両親にも協力してもらって、子育てと両立していく選択をしました。
仕事量を調整して、子どもとの時間を大切にしてきました。

思えば、あれから25年も頑張ってこられたのは、家族の支えや私の仕事を認めてくださる方がいらしたおかげです。
そういう方々のために、精いっぱい出来る限りの仕事がしたいと思っています。
 

Q.美紀子さんの性格は?

へこみやすいです(笑)。
地元に戻って来た時はまだ若かったこともありますけど「どうせ出来ね」とか「そのうち辞める」とか言われたことに「どうせって何だ?」って思ったんですけど、すごくへこみましたね。
グラフィックデザイナーって肩書だけで「かっこつけて…」っていう取られ方をされてしまって、「そんなつもりじゃないのになぁ…」ってことがいっぱいありました。
でも、やってやれないことはないと自分に言い聞かせて、そういう周囲の風当たりを、自分なりの糧にしようと思ってきました。
そういう意味では、負けず嫌いなんだと思います。
「一回きりの人生だし」っていう開き直りも大事ですよ(笑)。


Q.リラックス方法は?

みんなでワイワイお酒を飲んだり、カラオケに行ったりするのも好きですね。
自宅での仕事なので、オンとオフの区別があまりないんですね。
でも私の場合、家業が農業で、酒米やユーカリ栽培の作業もしていますので、その手伝いをしてデスクワークとはまた違った作業ができるのもいいかもしれませんね。
どちらの仕事も自宅ワークですので、子どもたちに仕事をして頑張っている姿を見せられたっていう意味でも良かったなぁと思っています。
 

Q.将来の夢や目標は?

絵はずっと描いていきたいと思っています。
仕事として色々描かせていただく作品はオファーくださった企業さんのためですので、今後は自分のために、絵や書道の作品を描いたりできればいいなぁと思っています。
もう少し歳をとって、仕事も一段落する時には、自分が描きたい絵を描きたいです。

それと、息子が私と同じく絵を描くのが好きで、「将来はデザインの仕事をやってみたい」と思っているようで。いつか一緒に仕事ができる日が来るのかなぁなんて思ったり。
「大変なんだぞ、甘いもんじゃない」って言いながらも嬉しかったですね。

あと、仕事を続けていくにも「今の時代に合ったもの」のニーズに応えられるように、日頃から色々なものを意識して見て、デザイン書籍、流行の漫画やお菓子、同業者さんの作品などで時代感を磨いていくとか、そういう勉強はずっと続けていきたいと思います。 デザイン業仲間と情報交換したり、興味を自分で探して、「見る目」を維持していきたいです。

 

Q.最上地域の好きなところ 嫌いなところは?

最上は少しずつ成長してきている地域だと感じます。
住民の方が地元の良いところを答えられるようになってきたり、ここにしかないものの価値や魅力に気付いてきたというか、地元の方の意識が変わってきたと感じます。

逆に、何かを始める時、「誰かがやってくれる」と人任せにしたり、行政まかせで進められることが多いことは良いところとは言えないんじゃないですかね。
私を含めて、住んでいるみんなが自分のこととして考えて、どうしていくかを決める時に参加していかなくてはいけない気がします。
一人一人が「見極める力」を持つ必要があると思いますね。
 

最上地域の女性へメッセージ

最近、最上地域でも可愛くて魅力的な女性をよく見かけますよ。
自分がやりたいことに対しては、何事も躊躇せず、まずはスタートラインに立ちましょう。
ただし、具体的な準備を整えることも必要です。
何と言っても行動するべきです。 子育てや家事の負担は、家族で話をして解決していきましょう。
女性だからということを理由に、何かをあきらめてほしくないですね。
自分が行動することで、きっとタイミングや人が自然と寄ってくるものなんだと思います。