祖母が着物を縫う姿に興味を持ち、専門学校で和裁を学ぶ。
若い頃は山屋囃子若連所属でお囃子をやっていたのが縁で新庄まつりの山車の衣装制作を担当することに。
好きなことを仕事にするために、40代半ばで会社を辞め、手業の道を歩き始めた遅咲きの和裁職人。


"出来るだけ家族が学校や仕事に行っている時間だけ縫うようにしています。間に合わない時は、家族が寝静まっている早朝に仕事をします。
だから、息子も夫も仕事に関しては特に何も言わないですね。"

"もともと、私の夫も別の若連ですけど、お囃子をやっているので、私が山車の衣装づくりで忙しくなっても文句は言われませんね。
私に言ってしまうと自分も行けなくなるので(笑)。うちは一家で無類のおまつり好きなんですよ(笑)。"


Q.どんなお仕事をしていますか?この仕事に就いたきっかけは?

新庄の北本町にある長澤京染店所属で着物のお針子をしています。
反物の状態で材料をもらって、それを縫って着物に仕立てていく場合と、逆に、仕立てられている着物をほどいて縫い直したり、そじてしまった裏地を取り替えたりする仕事です。

今年の4月に、それまで勤めていた会社を辞めて、この仕事を本業にしました。
もともと6年ほど前から、新庄まつりで沖の町若連の山車に乗っている人形に衣装を作る仕事もしていまして、和裁は特技というか、副業というか、ずっとそういう仕事を本業にできたらいいなぁとは思っていたんです。
京染店さんにはお客として顔を出す間柄だったんですけど、そこで店主さんから「今、お針子が足りなくて困ってんだ…」っていう話を聞いたので、「私、専門学校しか出てないですけど、それでもいいですか?」って言ってみたんですよ。
そうしたら、「腕はうちに来てから磨いてくれればいいから」っておっしゃってくれたので、「じゃあ、私やりたいです」っていうことで、会社を辞めることを決めました(笑)。

それまでは、会社勤めもしながら、まつりの時期が近づくと衣装制作は休日を使ってやって、それが本業みたいになっていたんです。
特に今年は、沖の町若連の他に北本町若連の衣装制作も担当したので、6月ぐらいからは京染店のお仕事は一時お休みして、山車の着物を一気に仕上げて、まつりが終わったら復帰して、という感じでさせてもらいました。
そうは言っても京染店の急ぎの仕事も、入ってくるんですけど。

まつりの山車の衣装制作は、自分が若い頃から山屋囃子若連(山屋囃子若連は沖の町若連と北本町若連の山車に付く)に所属してお囃子をやっていたので、それで、もともと繋がりがあったんですよ。
ある時、お囃子の愛好会ができることになって、そこに「樋渡さんお囃子、教えに来てよ」っていうのが始まりだったと思いました。
そんなこんなで、いつしか衣装作ることになって(笑)。

こちらは、若連の方から「こういうふうにしてくれ」っていうような指示は特になくて、自分で全部提案しないとならないんです。
毎年、各若連の風流(山車の演目)が決まると、少しずつ衣装の材料を探し始めて、若連の代表とかに「今年は人形何体ぐらいになりますか?」とか、「こういう場面なので、だいたいこの金額の見積です」っていう具合に打ち合わせています。
GW過ぎぐらいから縫い始めて、その年によって演目とか人形の数などが変わるので、歌舞伎の名場面だとか、定番っていう構図をインターネットや本で調べたりと、準備は一年中してますね。
 

Q.一番大変なことは?

仕立てられたものの裏地交換をする時に、裏と表の釣り合わせが気温や湿度によって変わってくるんです。
攣ったり弛んだり、素材が「絹」だと、お蚕さんのいわば「天然素材」なので、呼吸してるみたいな繊細さで、それをベストな状態に仕立てるのは難しいですね。
教えられてできるものではなくて、経験で身につくものだと思っているので、何枚も仕立てていって、自分の感覚を磨いていかないと満足いくものにはならないんだと思います。

京染店の店主さんは着物に関する知識がすごく豊富で、わからないことがあればアドバイスをもらっています。
他にも、仕立てられたものをほどいて、先輩お針子さんの縫い方を見て、それで覚えるって感じですね。
技を盗んで自分のものにしていく、まさに職人の世界ですね(笑)。


Q.充実感を感じる時は?

お針子としての仕事では、あるお寺の住職さんの袖の大きな衣をお直しさせてもらったんですね。
そういう着物のお直しはなかなか無いので、ほどいていく際にも写真を撮りながら慎重に慎重を重ねて、それを逆算して戻していったんですけど、無事に出来上がって納めてほっとしていたある時、その住職さんが県内版のテレビに出ることがあって、それをたまたま見ていたんですけど、そうしたらその時に私がお直しした衣を着てくれていたんです。
ほどいた着物をもう一度もとに戻すっていう難しい作業だったので、当たり前のように普通に着てくれていたことに感動して「気にいってくれたんだ」と思うと本当に嬉しく思いましたね。

まつりの衣装づくりのほうでいうと、昨年、新庄まつり260年祭の沖の町若連の山車「鏡獅子」で、ほぼ全ての衣装を私が担当して、その時は5体分を新規で作ったので、まつり直前にはもうぐったりして(笑)。
でもその年の最優秀賞をとって「ほっとした!!」という感じでした。
特に、胡蝶の精の衣装は洋裁の要素もあって、やったことのないことにも挑戦した年だったので、そのプレッシャーも半端なくて、それが終わった時の気持ちは何とも言えなかったです。



Q.初美さんの性格は?

一度始めたら最後までやらないと気がすまない。仕事でも何でも、わりとそういう職人気質みたいなところが昔からあったかもしれないです。
あと、仕事を始めると神経質になりますね。縫い始めると性格が変わります(笑)。
周囲に「関わらないで!」っていうオーラを出してますよ。
日頃は全くそんなことないんですけどね。集中して縫うことに打ち込みたいので。
 

Q.リラックス方法は?

お好きなことを仕事にしたので縫い物が嫌にはならないですね。ずっと縫い続けられますし、達成感もあります。
でも、納期や特にまつりなんかでは、責任っていうかプレッシャーもあってストレスも溜まってはいるんでしょうね(笑)。

そういう時には、ふらっと車で出掛けて森林浴に行きます。
市内の山屋から休場にぬけるスーパー農道を通って、大森山のオクチョウジザクラを見に行くのがお気に入りです。
あそこは松の木もあるので松の香りがフワッとしてリラックスできます。

自宅近くの野球場と陸上競技場の間をウォーキングしていて、そこも松の香りがして気持ちが落ち着くんですよ。
そこまで行ってちょっとぼーっとしてまた歩く、みたいな感じでした(笑)。

あとは、些細な事なんですけど、着物を着た時の、衣擦れの音も感覚的に好きなんですね。
普段のそういう何気ない感覚のリラックスで、ストレス発散してるんだと思いますね。
それと完全に休みの日は、体力回復のためにひたすら寝ます(笑)。
といっても、パソコンでデータ収集もしてますね。おまつり衣装の資料集めとして(笑)。


Q.将来の夢や目標は?

いずれは山形県内のお寺の仕事をこなせるようになりたいです。
お寺の仕事は特殊で難しい仕事なので、それをこなせるようにもっと腕を磨いていきたいですね。

変な話ですが、お針子は一着いくらでお給料をもらうので、ベテランのお針子さんだと仕上げるのが早いのでどんどんこなせば、下手したら会社勤めの給料より稼げるかもしれません。
私はまだまだなんですけど、これから腕を磨いていけば、どんどん仕事を受けられるようになっていくっていう、そういう可能性があるので、もっともっと頑張りたいです。

でもその一方で、縫い子の仕事は、「ゆっくり丁寧に」を大切にして、早さよりも質の良いものを縫うっていうことを心がけています。
まつりの衣装も、「基本の歌舞伎に忠実に」をモットーに、そのために歌舞伎の本を県立図書館まで借りに行ったり、それでも足りない時は人形師の野川北山さんに資料をいただいたりして勉強しています。
 

Q.最上地域の好きなところ 変ってほしいところは?

やっぱり、新庄まつりがあるところが一番ですね。260年続いている伝統ですもの。
囃子でも関わっていて、今は衣装でも関わっているので、まさに「新庄市民の誇り」ですね。
これを残していきたいと思います。今は山車づくりに山大生とか結構若い人が入ってますね。
その若連によって雰囲気は違うと思いますけど、すごく良いことだなぁと思います。

逆に、変わってほしいと思うことは、若い人たちのいる場所が少ない・無いってことですね。
居場所っていうのは「働く場所、勉強する場所、集まる場所」っていう意味で。
これからの人たちがもっともっと希望を持って、自分のやりたいことができる、そんな地域になってほしいですね。
 

最上地域の女性へメッセージ

自分がやりたいことの「アンテナは常に広げておく」ってことかな?
そうしていつでもチャンスを掴めるようにしておくっていうことでしょうね。

私の場合は、人と人との繋がりを大切にしてきて、「いつか…」って夢を諦めないでいたら、今までに「新庄まつり」を通して知り合った人たちとの繋がりが、今の仕事に踏み出すタイミングを運んできてくれました。
いつ、どこで、そういう出会いがあるかわからない。
だから、歳とか関係なく、いつでもできる準備をしておくっていうことじゃないでしょうか。